山本五郎左衛門
さんもとごろうざえもん


『稲生物怪録』(阿部巻子本)
【江戸時代】

平太郎の前に武士が出現する場面。この武士こそ化け物たちを率いていた魔王、山本五郎左衛門だったのです。

 稲生平太郎の妖怪体験を記録した『稲生物怪録』と呼ばれる絵巻などに登場する魔王。
 『稲生物怪録』の原型と思われる『三次実録物語』においては、山本太郎左衛門という名前になっています。

 稲生平太郎の体験談は文献によって細かい部分に相違がありますが、おおよそ次のような話になっています。
 それは1749年5月のこと。備後国(広島県)三次に住んでいた稲生平太郎と三井権八という相撲取りが、どちらのほうが勇気があるかと口論になり、比熊山で肝試しをすることになりました。
 比熊山には大きな怪石がありました。その石はかつて比熊山にあった山城の城主の墓で、触った者は死ぬと云われていました。夜、平太郎と権八は暴風雨のなか山に登り、石の前で百物語を始めます。しかし、そのときは何も怪異は起こらず、やがて朝になってしまいました。
 ところが、7月1日に奇妙なことが起こりました。平太郎の家の塀の向こうに、縦長の目が一つある、牛五、六匹分ほどの大きさの黒い化け物が現われて、平太郎を襲ったのです。そして、この日から一ヶ月間、たくさんの妖怪たちが稲生家に出没し続けるようになります。
 7月2日の夜。行灯を灯すと、火は次第に伸びてきて、とうとう天井に燃え移りました。しかし、度胸のある平太郎は「変化の仕業ならばこの火はまやかしだろう」と考え、そのまま放置しておきました。平太郎の思っていたとおり、火は自然に消えました。平太郎が寝ようとすると、今度は寝所に水が湧き出しましたが、平太郎はそのまま眠ってしまいました。
 7月3日の夜。女の首が現われて、髪を足のようにして動き出しました。女の首は平太郎の顔を嘗めたりしましたが、やがて消滅。その日、蚊帳を吊って寝ていると天井から青瓢箪がたくさん下がってきました。
 7月4日の夕暮れ頃。瓶や手桶の水が凍りつき、箱枕の中にあった唐紙が舞い上がりました。
 7月5日。表座敷に大きな赤い石がありました。その石にはたくさんの目と指がついていて、勝手に動き出しました。石は平太郎の後を付いてまわりました。平太郎が石を庭に蹴り落とすと、石から煙が出ました。
 7月6日の夜。薪小屋の入り口を、巨大な老婆の顔が塞いでいました。また、蚊帳で寝ていると足元に冷たい屍が現われて、もぞもぞと動きました。
 7月7日。平太郎の家に来ていた権八が黒い怪しげな者を目撃し、槍で突きました。しかし、その黒い者に槍を奪われてしまいました。
 7月8日。米俵や下駄が宙に舞いました。また、寝ていると蚊帳が白くなって波打ちました。
 7月9日。平太郎の家に来た影山庄太夫という者が、無断で持ち出した家宝の名剣で化け物を斬ろうとして刀を折ってしまい、責任を感じて切腹。平太郎が庄太夫の死体を納戸に隠すと、門の前に庄太夫の幽霊が現われて、平太郎に「お前も自害しろ」と言い出しましたが、夜明けとともに幽霊も死体も消えてしまいました。
 7月10日の夕暮れごろ。尋ねてきた周防屋貞八という相撲取りの頭が二つに割れて、そこから血まみれの赤ん坊が十人ほど出てきました。赤ん坊は家の中を這いまわると、やがて寝所に集まって合体し、大きな目玉になりました。
 7月11日。親戚が十三人集まりました。そこに近所の彦之丞という者がやって来ましたが、彦之丞の刀の鞘がどこかへ消えてしまいました。
 7月12日の夜。葛籠が蟇になって歩きまわりました。
 7月13日。西江寺の薬師御判を借りるため、長倉という狩人とともに西江寺へ向かいましたが、突然藪の中から赤い石が飛び出し、長倉に当たりました。
 7月14日の昼。誰もいないのに、唐臼が勝手に搗きはじめました。夜には天井に老婆の顔が現われ、平太郎の顔を嘗めました。
 7月15日。蚊帳の中が白くなって波うち、やがて畳や布団も白くなりました。
 7月16日。居間の額から「とんとこ、ここに」という声が聞こえてきたので、額を外してみると、脇刺しの鞘が出てきました。
 7月17日の昼。石川門左衛門の女房おくうが訪ねてきましたが、盥に追いかけられて逃げ帰ってしまいました。その夜、串刺しになった小坊主の頭が現われて跳ねまわり、そのうち大きな鯰になりました。
 7月18日の夜。畳が釣り糸のようなもので天井に吊り上げられました。
 7月19日。化け物を捕獲するために罠を仕掛けましたが、罠は翌朝には屋根の上に捨てられていました。
 7月20日。女が中村平左衛門から預かった牡丹餅を届けに来ましたが、後に、隣家から牡丹餅が入った重箱が消えていたことが判明。その夜、寝ようとすると蚊帳が落ちてしまい、吊りなおしても落ちてくるので、そのまま寝ました。
 7月21日。行灯をつけると人の顔と手が浮かび上がり、何か話し声も聞こえてきました。
 7月22日の昼。棕櫚箒が飛び、座敷を掃除しました。
 7月23日。平太郎の家の隣にある権八の家では、権八の外出中に書物がすべて引き出され、膳と椀も二十人前ずつ並べられていました。権八が片づけを終えると、天井が膨らみはじめました。脇刺しで天井を突くと、濡れた煤がつきました。夜、平太郎の家では天井からたくさんの蜂の巣が降りてきて、黄色い泡を吹き出しました。
 7月24日の昼。大きな蝶が入ってきて、分裂してたくさんの小さな蝶になりました。夜には行灯が石塔になり、青い火が燃え上がりました。
 7月25日。小屋に行こうとして縁側の踏み石を踏むと、そこには皮膚が爛れた冷たい屍がありました。足の裏が屍にくっついて離れず、やがて屍の目が動き出しました。どうしても離れられないので、平太郎はそこで眠りました。
 7月26日。縁の下から木遣歌が聞こえてきて、やがて女の生首が現われました。生首は内臓を引きずって飛びました。
 7月27日。外の壁が黄黒くなったり白くなったりしました。夜には拍子木の音が床から聞こえてきました。蚊帳に入ると、今度は女のため息が聞こえてきました。
 7月28日の夜。空中に尺八を口に当てた虚無僧が三人現われました。尺八を吹いているように見えるのに音はせず、平太郎が寝ようとすると蚊帳の中に入ってきました。
 7月29日。風とともに星が部屋に入ってきました。
 7月30日。突然戸が外れて障子が開き、武士のような姿の大男が現われました。すると炉の蓋が開き、灰が部屋中に広がりました。平太郎が灰を蹴散らすと、そこには巨大な坊主の頭があり、その頭から平太郎の苦手なミミズが大量に出てきました。平太郎の周りはミミズだらけになってしまいましたが、それでも平太郎はじっと我慢しました。やがて坊主の頭が目を閉じ、ミミズが消滅。そして、先ほどの武士のような男性が山本五郎左衛門と名乗りました。彼の話によると、山本は三千世界の魔王であり、神野悪五郎という魔王と、どちらが上につくかを勝負していたのだそうです。そのルールは「百人の人間を怖がらせたものが勝ち」というもので、山本はこれまでインド、中国、日本を巡り、八十五人の正気を失わせました。しかし、どのような術を使っても平太郎の正気を失わせることはできませんでした。山本は「平太郎様のような剛胆な方と会ったために、悪五郎の下につくことになってしまうかもしれないと思うと、口惜しい」と言って悔しがり、平太郎に木槌を授けました。そして「悪五郎がこの家を襲ってきたときは、この槌で西南の間の椽を叩けば、すぐに加勢しに参ります。ただし、木槌のことは五十年間他人に話したり見せたりしないように」と言うと、一礼し、化け物を引き連れて去っていきました。

 以上が『稲生物怪録』のだいたいの展開ですが、その後の木槌の行方についても記録が残っています。
 1749年8月3日、平太郎は木槌を箱に入れて庭に埋めました。1753年には出張のため木槌を掘り出して出張先に持参し、帰ってきてから別の空き地に埋めています。その後も平太郎は住居が変わると木槌を掘り出し、他人に見つからないように埋めていました。そして怪異から五十三年が過ぎた1802年、木槌は広島の日蓮宗国前寺に預けられ、そして現在も保管されています。

 


参考文献
本日本妖怪大事典』 水木しげる 画、村上健司 編著 (角川書店)
本 『にっぽん妖怪地図』 阿部正路 千葉幹夫 編 (角川書店)
本 『季刊「怪」第伍号』 (角川書店)


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