九尾の狐
きゅうびのきつね


『三国妖狐図会』 「蘇姐巳駅堂に被魅」
歌川国芳
【江戸時代】

歌川国芳
【江戸時代】

班足太子と九尾の狐。

『三国妖狐伝』 「第一斑足王ごてんのだん」
葛飾北斎
【江戸時代】

『今昔画図続百鬼』雨 「玉藻前」
鳥山石燕
【江戸時代】

『月耕随筆』 「九尾狐」
尾形月耕
【明治時代】

 尾が九本ある
 殷では紂王の妃である妲己に、天竺では耶竭陀国の王子・班足太子の妃である華陽夫人に、周では幽王の后である褒ジに化けて国を滅ぼしたとされています。
 天平七年(735年)には、若藻という娘に化けて遣唐使の船に乗り、日本に渡来。数百年後、九尾の狐は赤子に化けて坂部行友という武士に拾われ、藻と名付けられ育てられました。やがて狐が玉藻前と名乗り、鳥羽天皇の妻になると、鳥羽天皇は次第に体調を崩していきました。
 天皇の家来たちは、陰陽師の安部泰成に天皇の体調不良の原因を占ってもらいました。その結果、玉藻前の正体が狐であり、天皇の病気はその狐の力によるものであることが判明。家来たちが玉藻前を捕らえようとすると、玉藻前は狐の姿になって、那須原へと逃げていきました。
 狐はそのまま那須原に住みつき、田畑を荒らすようになりました。そこで天皇は、上総介広常と三浦義純という武士に狐を退治するように命じました。二人は武士を大勢集めて那須原へ向かい、激戦のすえ、ついに九尾の狐を退治することができました。
 退治された九尾の狐は、殺生石という岩になったそうです。

 鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』(1779)にも玉藻前が描かれ、「瑯邪代酔に古今事物考を引て云商の妲巳は狐の精なりと云々 その精本朝にわたりて玉藻前となり帝王のおそばをけがせしとなん すべて淫声美色の人を惑す事狐狸よりもはなはだし」 と記されています。

 


参考文献
本鳥山石燕 画図百鬼夜行』 高田衛 監修、稲田篤信 田中直日 編 (国書刊行会)
本妖怪事典』 村上健司 (毎日新聞社)
本日本妖怪大事典』 水木しげる 画、村上健司 編著 (角川書店)
本妖怪ウォーカー』 村上健司 (角川書店)
本 『栃木の昔ばなし』 有吉弘行 画、河野伸枝 話 (タカチホ)

関連頁
もののけに出会える場所
 ├ 那須の殺生石 (栃木県)
 └ 真如堂の鎌倉地蔵 (京都府)


もののけが集うホームページ

 

   

inserted by FC2 system