鬼女紅葉
きじょもみじ


『今昔百鬼拾遺』霧 「紅葉狩」
鳥山石燕
【江戸時代】

 長野県の戸隠村でいう鬼女。
 能や歌舞伎の『紅葉狩』でも知られています。

 紅葉は937年(承平7年)11月に会津で生まれました。幼名を呉葉といい、琴の名手でした。
 成長した呉葉は、第六天魔王の力によって一人両身という術を取得。後に豪農の息子のもとへ嫁ぐことになりましたが、両親とともに婚礼仕度金を持ったまま都へ逃げだし、やがて紅葉と改名しました。
 都へ来た紅葉が平経基から求愛を受けると、そのころから経基の妻は体調を崩しはじめました。経基の妻の病気を治すために祈祷が行なわれると、「紅葉に注意しなさい」という神託が降りました。経基が紅葉に問いただすと、紅葉は経基の妻を呪いで病気にしていたことを認めたので、956年(天暦10年)9月、紅葉と紅葉の両親は戸隠の荒倉山に流されました。
 心を入れ替えた紅葉は、檜扇と呼ばれる扇の力を使って、村人の病気を治療していました。しかし、そのうちに都での生活が懐かしくなり、都へ帰るために旅人から金品を奪うようになりました。

 やがて、鬼女退治を命じられた平維茂が荒倉山に入山。
 山では女が侍女らとともに秋山の紅葉を楽しんでいます。女は更級姫と名乗り、維茂に酒を勧めました。維茂は油断して盃を重ね、そのうちに眠ってしまいました。すると維茂の夢の中に八幡の神が現われて、その女が鬼女であることを維茂に告げました。維茂が目を覚ますと同時に、本性を現した鬼女が襲いかかってきました。激しい戦闘が行なわれましたが、決着はつかず、お互いに退くことになりました。
 その後も幾度かの戦いが繰り広げられましたが、維茂の軍は妖術を使う紅葉を倒すことができません。そこで維茂が戸隠大権現や北向観音を参拝すると、その夜、維茂の夢の中に老人が出現。老人は維茂を戸隠山の上へ連れて行き、「この降魔の小剣で鬼女を討て」と言って、五寸ほどの剣を渡しました。目を覚ました維茂の枕元には、夢で授けられた剣が置かれていました。
 維茂は再び紅葉に戦いを挑み、降魔の小剣で彼女の肩を斬りつけました。紅葉はよろめきながらも鬼女の姿を現わして宙を舞い、維茂に向かって炎を吹きます。維茂が絶体絶命の危機に陥ったそのとき、空から金色の光が差し、紅葉の眼を射抜きました。紅葉はそのまま地面に落下。維茂はとどめを刺し、ついに鬼女を退治したのでした。

 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』(1781)にも紅葉が描かれ、「余五将軍惟茂紅葉がりの時山中にて鬼女にあひし事謡曲にも見へて皆人のしる所なればここに贅せず」 と記されています。

 


参考文献
本鳥山石燕 画図百鬼夜行』 高田衛 監修、稲田篤信 田中直日 編 (国書刊行会)
本日本妖怪大事典』 水木しげる 画、村上健司 編著 (角川書店)
本 『Truth In Fantasy 47 鬼』 高平鳴海 糸井賢一 大林憲司 エーアイ・スクウェア 共著 (新紀元社)
本妖怪事典』 村上健司 (毎日新聞社)


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